2016年5月6日金曜日

この前久しぶりに新宿に行って来たら

私が住んでいたころとはすっかり様変わりして別世界www

私が子供たちと住んでいたころはまだ下町の雰囲気があって背の低い建物や駄菓子屋さんなどもあった。

保育園から子供たちの手を引いて帰る途中
ペットショップの水槽に見とれていつも寄り道したがっていたっけ。
次男はカメレオンが好きだったな。

それが10年で別の惑星の都市みたいになった。

未来的な景観は西新宿と区別が付かない。

巨大な高層ビルばかりになりペットショップもお菓子屋さんも消えていた。

あの光に満ちた懐かしい時は・・・完全に私の記憶の中だけにある幻となった。

10年か・・・命からがら、着の身着のまま逃れて、その後の私と子供たちの人生は失われたままだ。

その日は道に立っているだけで方向感覚を失いそうになるので、あまり探検はせず、すぐに帰宅することにした

5年前立ち寄った時は、こんなに変わっていなかったと思う。JR新大久保駅から歩いたのだが、お気に入りの美容院もドトールも寝っカフェのビルも存在していた。ドンキや韓国料理のテナントが入った雑居ビルも、まだあった。人通りもずっと多かった。

私たち家族が暮らしていたマンションの建物も。

1Fは家具店になっていて、隣は花屋だった。

毎週玄関に飾る花を買っていた。

田舎に住んでいたときに買った、綺麗なステンドグラスの花瓶に生花を生けていた。

切花はすぐに駄目になってしまうので、運気を上げるためにはお金がかかるんだなと思った。

しかし元夫が商売をしている関係上、これも必要経費だと思った。

家の中を綺麗に保つのは、必要があってのことだったが、家族のためでもあった。

幸せそうに笑っている子供たちの写真は、この頃撮ったものである。

子供たちのために、何時も整理整頓には気を配っていた。


韓国には家は夫が準備し、中の家具とか調度類やファニチュアは妻が準備すると言う慣習がある。

古く、薄汚れ水周りにはカビが生えているような物件だったが、月16万円台で贅沢は言ってられない。

工夫し改良して住まなければならない。一番下の子はまだ乳飲み子だ。

衛生にも気を使って清潔に。

南の部屋からは新宿駅の時計台が見えた。

幸い6階の南向きの部屋で日当たりが良好で、子供部屋には最適な部屋だった。

ただ当時は向かいにある廃ビルのぽっかりと空いた入り口や窓が、ちょっと不気味な感じはした。

私は風水の本とにらめっこしながら、通販を利用しまくり、家具をいくつも組み立て、 夫婦も子供たちも楽しく過ごせる、やっと「理想の家」に近づけたと思った。

子供たちも健康で、保育園にも入ることが出来た。

毎週日曜日には教会に礼拝に行き、子供たちは同じ教会員の子供たちである友達とはしゃいでいた。

こんどこそ理想家庭をやり直すのだ。

なぜか、元夫はしきりに家族写真を取りたがった。

写真館に私たち全員を普段着のまま連れて行き、慌しく撮影した。

そうしないと現実が壊れてしまうとばかりに。なにが不安なのか、元夫はとにかく結婚式を何度も行ったり、写真を撮ったり、今の現実を留めおく記録を作るのに必死だった。

彼のその姿には違和感を感じないでもなかったが、「何ナーバスになってるんだろ」くらいにしか思わなかった。

何しろ毎日忙しく、充実していたのだから。


あれから一転、私たちは光から闇の世界を彷徨う事になった。

この界隈も、外国からの移住者により経済的には大変復興し、また在特会のデモなどで外国人に乗っ取られた町として有名になり一気にしぼんだ。

韓国人が日本語が出来なくても住める街だったね。東南アジアの人たちもたくさんいて、メトロポリタンなアジア一のメガロポリスだよね新宿って。


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