2016年5月5日木曜日

スポットライト

今日は快晴でした。
 せっかくのお天気、家人が朝ポツリと一言、
 「映画を見に行こう」
 と言ったことから
 「うん、いいよ!何見に行くの?」

 一日に一回しかロードショーをやっていない、ちょっと地味目のドキュメンタリー、バチカンのスキャンダルを暴く小さな町の新聞社の記者たちの話だそうである

軽薄なヒーローアクションには食傷していた私もこれは有意義な映画みたいだぞ…とノリノリ。
上映時間まで二時間なら今すぐ出発すれば映画館のある街までまだ間に合う!
即効でおやつとおにぎりの準備をしてすばやく着替えキッチンを綺麗に片付けてからいざ出発

この季節は緑が本当に綺麗だねえ 
緑の木陰のアーチを潜り抜けるとき車窓から漏れる木漏れ日が社内を爽やかなグリーンに彩る。

田園都市線って駅の名前も風情があって…
駅に着いたので 早速映画館に突撃!!
結構人が着ている。チケットも一番前の席3席しか空きが無くほぼ満員。
パンフを買い、一旦外のベンチで休憩。
おにぎりをぱくつく。
家人が温かいコーヒーを買っている間にパンフレットに目を通す。

主演の俳優さんが白髪になってシブくなっていたマイケル・キートンだった。

 ストーリーはあるボストンの町にワシントンからやってきた新局長が地元紙のてこ入れをするところから始まる。
パンフの人物紹介ではこの局長さんはユダヤ人とある。
なになに一見さんでボストンの新聞社にやってきて、いきなり局長に納まるなんてユダヤ人てエリートなんだ???って思わずびっくりしました。

そしてこの局長が昔書かれたコラムから見つけた特ダネがカトリック神父の小児性愛と子供への性的虐待であった…というわけ。
新聞社の仲間たちはチームを組んでそれぞれ取材にあたります。  
ストーリーは環境音楽みたいに繰り返される印象的なピアノ曲の一小節に乗って淡々と進んでいきます。
しかしそこには恐るべきバチカン組織の隠ぺい工作が暴かれていきます。
人の心の動きや心臓の鼓動を思わせる静かでエモーショナルな旋律が静かに盛り上げていきます。
図書館で資料を取り寄せたら中身が入ってなかったり、聞き取り調査で虐待を受けている間すぐ隣のキッチンにいる母親は全く気付かないまま・・であったり兄弟そろって被害に遭ったり。
被害者の心理描写などはダイジェスト風に割とさらりと語られているのですが、
「あれはレイプではない。なぜなら悦びを感じてないから罪ではない」と繰り返す神父がいて、
虐待をしていた神父も実はほかの神父から暴行を受けた被害者だった、ということを女性記者が聞き出したところを、怖い顔をした彼のお姉さんが女性記者を弟の神父と引き離し家から追い出したシーンなどがあり、深い闇を感じました。

被害者である信者たちも衝撃を受けて信じられない、もう思い出したくもない、話したくもないといった状況なので取材は困難を極めるのですが、一歩一歩証拠を積み上げ、ついに真相に迫ります。

主人公の記者の母校に彼が在学していた当時問題の神父がラテン語講師として教鞭をとっていたことの衝撃・・・!
さっそく被害者を見つけ出し重要な証言を手に入れます。

バチカンは問題を起こした神父は病気療養と称して児童養護施設などに転属させ結局30年間も神父の犯行を隠蔽していたのです。

バチカンが児童虐待の証拠隠滅を図った記事を発表することになった直前、あの9・11の悲劇が起こり、有名紙は一斉にテロ報道を書きたて、バチカンのスキャンダルは彼方に追いやられそうになります。
しかしここは地方紙の強みもあってボストングローブ紙は加害者神父のリストを紙上で発表することができました。

「我々は皆手探りで闇を歩いている。あるとき光が差し込み、道を誤ったことに気付く」

「信仰と教会は切り離して考えなければならない。」

「人が作ったものは滅びる。」

ラスト直前で「教会を信じる」と繰り返し言っていた女性記者のお祖母さんが記事を読んで悲痛な叫び声をあげていました。

やはり人が作ったもの(偶像)を信じてはいけないんですね。

B・Gの記者たちは闇に葬られそうになっていた罪を暴き、被害者たちの心を開放し、町の人たちを救いました。

弁護士も検事も記者たちもみな自分がしなければならない義務を誠実に行っている人たちでした。

主人公の親友である弁護士(教会側に立って働いていた)は最後に「おまえが故郷であるこの街にいられなくなるようなことをするはずないよな」といって釘をさすのですが、主人公の決意は変わりませんでした。

厳しい状況でも黙々と善を行う人たちは尊敬します。

小さな街でも立派なジャーナリストというものはいるものなんですね。


それにしても小児性愛者が神父全体の6%で性的に堕落しているものが50%とは・・・!

そして加害者になる神父の精神年齢が12,3歳。
そうした未熟な人格をもつものが自分より目下の人物を自分の思い通りにしようと虐待してしまうとか・・・教会も神父さんたちの精神のケアを行って欲しいですね・・・。









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