以下はイエスをお腹に宿した時の母マリアとヨセフとの会話です。
>彼女が「楽しいことを語って下さい」、と言うと彼は答えた、「それは私が言いたいことのすべてだ、教えてくれ、畑は種が無くても成長するだろうか」。彼女は答えた、「そうです」。
> 彼は言った、「木は雨に打たれなくとも成長するだろうか」。彼女は答えた、「そうです」。
>彼は聞いた、「性交しなくても子は生まれるのだろうか」。
>「そうです」と彼女は答え、「神は創造の日、一粒の種も無くして畑に芽生えさせ、そしてむしろ、種は神が種なしで芽生えさせた畑から芽生えたことを、あなたは知らないのですか。神は雨が無くても木を成長させ、それぞれを別々に創造された後、その同じ力によって木の生命のために雨を創造したことを、あなたは
知らないのですか。それともあなたは、神は水をかけないで木を成長させることができないとお考えですか。あるいは、水が無ければ主は木を成長させることが
できないと」、と言った。
「『使徒たちと諸王の歴史』第二巻(264)」http://ameblo.jp/ibn-ishaq/theme12-10056747315.html進化論でもよく言われる、「鶏が先か卵が先か」と言う論争は、キリストが生まれる以前から決着が付いていたんですね。
何も無いところから有を生じせしめる。それこそが神の奇跡!
あえて言うなら、風水で整理整頓、掃除が推奨されるのは、神様からお借りしたものを、きれいに元通りにして、きちんとお返しする、と言う考えから出ているのかもしれないと。
この大地が神様の家の床だとしたら、無秩序に汚していいものでしょうか。
われわれ日本人は他人からちょっとハンカチを借りただけでも、洗濯して次の機会に返そうとするではないですか。
食器も使ったらきれいにして洗って片付ける、トイレも使ったらきれいにして元通りにしてお返しする。
風水は神様に対する儀礼の一つかもしれません。
でももちろん、心から神様を敬愛することが一番大切なんでしょうね。
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