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2016年8月15日月曜日
救世主を見出すということは試練また試練の連続
西洋の人と言うのは、本当にあらゆる手段を講じて、キリストを探し求めてきたんだねえ。
錬金術、ケルト神話、日本のお稲荷さんまで駆使してw
イエスの言葉、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなた方も完全なものになりなさい」
これを実現させることだから、死んでもできそうにない。
神のごとく完全な人間になったら、救世主いらないじゃん?
<人生の錬金術>
卑しい金属(人物)が試練をいくつも乗り越え、黄金の精神の持ち主(王や女王)になるということらしい。
童話などを分析すると、なるほどと思う。
一番わかりやすい例は、シンデレラであろう。
何もかも失い、灰の中にいた美少女が意地悪な継母や姉妹に苛められ、それでも清らかな心を失わなかったので、仙女の助けを得て美しい姿に変えてもらい、最後に王子様と結婚する。
このパターンは、鉢担ぎ姫などにも見られる。
何の罪もない善良な市民を悩ます悪役の存在価値は、他者の存在から切り離して主人公を輝かすこと、民衆の共感や同情を集め、神にして訴えさせ助力を乞う条件になるのかと思う。
聖書でいえば、ヨセフの物語が典型的だと思う。
読んでみるとわかるが、半端なく大変な道だ。
だから試練は悪人が受けるのではなく、善人が受けるというのである。
試練を受けたのは、
ルシファーではない、アダムである。
カインではない、アベルである。
ネフィリムではない、ノアである。
ニムロデではない、アブラハムである。
エサウではない、ヤコブである。
11人の兄弟ではなく、ヨセフである。
エジプト人とパロではない、モーセとイスラエル人である
サタンではない、キリストである。
先に打ってくる、というのは侵略性があるということ、ジャイアニズムである。
他者に迷惑をかけることなどなんとも思っていない、自分本位の「奪うもの」である。
強いものは弱いものに何をしていいと思っている覇権主義である。
獣の世界では弱肉強食 しかし掟やルールがないわけではないらしい。
多神教の中で最も尊ばれる神が法の神である。誓いや約束を守ることを要求する神である。
インドでは、ヴァルナと言った。
そして太陽は、このヴァルナ神の目であると考えられた。
そして太陽神は多神教文化の地域ではどこでも、公明正大な神、と考えられた。
法廷が弱肉強食のルールで支配されるとしたら、法治国家、民主主義国家が、崩壊してしまう。
だからこの最も尊ばれる神格は、ユダヤ教のヤハウェに引き継がれた。
石器時代に捧げものとしてカインの野菜よりアベルの羊を好んだ神は、後の世になって、社会正義が行われることを望むようになった。
神への信仰姿勢を正し、偽証せず、孤児や寡婦に施し、社会を正しく治めなさい、それが何よりの供物である、と預言者によって主張された。
憐れみを持て 高潔であれ と。
このメッセージを熱心に発信し、行っているのがキリスト教、ユダヤ教、ムスリムではないかと思うのである。
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