つい最近まで古代異星人飛来説のはやし浩司先生の動画にはまっていて特に興味深いのがペルシャとインドの関係、ミトラ教徒仏教の関係だったのですが、
この動画のミャンマー遺跡の項で妖艶な壁画に描かれているアリ―僧って、この地に仏教が入ってくる以前に栄えていた密教=ミトラ教の神官の事ではないのかな?と思いました。
<仏教が来るまでバガンで栄えていたバビロンの宗教>
そういえばバガンの都は、ペルシャの神殿をダリウスに追われたカンビュセス王が建設したと言われるカンボジアの近くにあります。
「
カンボジア(Cambodia) .kh」http://p.booklog.jp/book/63004/page/1993605
「ペルシャの歴史②」http://www.asyura.com/2003/bd24/msg/490.html
ヤンゴンの都市は中東の都市が東南アジアに引っ越してきたみたいに見えます。
エーヤワディー川のそばには遊牧民がたくさんのヒツジやヤギを飼い、大平原には巨木が生えています。
そして煉瓦でできた都市や黄金のパゴダの屋根の形は、イランの神殿や都市を思わせます。
バガンの王宮はイラン文化とインド文化を足して二で割ったような形式に見えます。
マヤ、アンコールワット、ボロブドゥールなどの神殿都市はなぜか密林に覆われた形で発見されるのですが、都市を建設するときにわざわざジャングルを切り開いて建設するでしょうか?
都市を作ったときには木など生えてなかったのではないでしょうか。
氷河期を過ぎて水位が上がり、温暖化と共に降雨量は増え、乾いた大地は草原になり、やがてジャングルになったのではないでしょうか。
バガン遺跡はミャンマー最古の王朝跡ですが、当時は誰が住んでいたのでしょうか。
<11世紀にアノーヤター王がミャンマーを統一した時にバガンを支配していた密教とは>

>酒を飲んで女遊びをし、女性が結婚するときは初夜をアリ―僧に捧げねばならず、親を殺害してもマントラを唱えれば無実とされるという過激な教義を唱えていました。
毎日みだらな生活を送っていたアリー僧とはどこから来たのでしょうか。
入り口近くにあるレリーフの仏像?は色白で
ずいぶん頭が大きいですね。
これははやし先生の動画で紹介されていたプアビ女王の特徴と同じです。それにこの像は普通の人間よりも大柄に作られています。
アリ―僧は頭の大きな白い巨人だったのでしょうか。
古代イランの信仰はバラモン教(ヒンドゥー教のルーツ)と同じでした。
密教の語源はミトラ教でした。
毎日酒を飲んで享楽的な信仰形態VS仏教僧・・・なんかどこかで見たような構図?
バビロンやエジプトの多神教に逆らったアブラハムやモーセを思い出した。
優れた理念を王国の基礎として統一する王や指導者の物語
番組の中でたけしが言った「ソープ嬢が大僧正」ってバビロンの神殿娼婦みたいだなと思った。
快楽や豊穣(経済的豊かさ)でもって民をコントロールする同じシステムはバビロンの宗教が発祥である。
<宗教=征服者の理屈?>
神=力の強大な征服者と仮定するとして、宗教とはその地を征服し、富を収奪し、人民を支配下に置き、好き勝手なことをやるためのシステムでしょうか?
そういう宗教は邪教というのではないでしょうか。
そのような邪教がはびこり、人々が堕落するのを恐れるのはまともな為政者としては当然のごとく、アノーヤター王は戒めと秩序を重んじる僧侶ダンマダッシーと宗教改革を図ります。
「仏教をもってこの国を治めてください」
軍隊を使ってアリ―僧を一掃(すげ!)
そして仏教寺院や塔を次々と建設し、仏教都市国家バガンが誕生。
ダンマダッシーはシン・アラハンともいいダンマダッシーは比丘名だそうだ。
https://kotobank.jp/word/シン・アラハン-1176090
しかしその滅亡には免税地である仏教寺院の土地を増やし過ぎて財政困難に陥ったところにモンゴルが攻めてきて王朝は滅亡。しかしバガンの美しい建設物は保存され、今でも仏教の聖地となった。