4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
「イスラエルの神」というのは、イスラエルの人々が信じている神とか、イスラエル人だけの神という意味ではありません。
神が「イスラエルの神」と呼ばれるのは、イスラエルの十二部族の先祖になったヤコブに働きかけ、彼を助け、彼とその人生を変えてくださったからです。
神は、世界でただおひとりの主権者、すべのものの創造者、偉大な絶対者ですが、私たちひとりびとりを心にかけ、導いてくださるお方なのです。
ヤコブもまたさまざまな苦しみの中を通りましたが、神に祝福を祈り求め、神はヤコブに「イスラエル」という新しい名前をつけてヤコブの生涯を変えてくださったのです。
「イスラエルの神」という呼び名には「ヤコブを祝福し、イスラエルに変えてくださった神」という意味があるのです。
ヤコブが神の祝福を熱心に願ったように、ヤベツも「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。
御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように」と祈っているのです。
ヤベツは苦しみの中に生まれました。
しかし、彼はそれを「運命」とも「神のおぼしめし」とも考えていません。
ヤベツはそれをチャレンジと考えました。
そして、神に助けを呼び求めたのです。
神はその祈りに答えてくださり、ヤベツは逆境を乗り越えました。
「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた」というほどになったのです。
http://penguinclub.net/sermons/1chro/1chro4-9.html
最近よくない事ばかり(息子に会えない、統一教会はお金を返してくれない、警官と弁護士には裏切られる、シュ○ティには騙される、父は貯金を使いこんで孫の学費を払えない、等々…)起こるので私は主に憎まれているのかなあと本気で落ち込んでいたのですが、今朝家人に教えてもらったのがこの「ヤベツの祈り」の事でした。
>ヤベツは苦しみの中に生まれました。
>しかし、彼はそれを「運命」とも「神のおぼしめし」とも考えていません。
>ヤベツはそれをチャレンジと考えました。
「ヤベツ(Jabez)」というのは「痛み」とか「苦しみ」という意味です。
>4:9 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、彼にヤベツという名をつけた。
ヤベツを産んだのはシングルマザー(夫と死別したか離婚したか分かりませんが)でした。
子供の名前は通常父親が名づけるそうなのですが、ヤベツには生まれた時からもうお父さんはいませんでした。
通常夫と死に別れたやもめは貧しいものです。
母親は夫のいない心細さと経済的な不安の中、子供を産み育てなければなりませんでした。
普通母親は自分の子供には希望を込めて、良い名前を付けるものですが、この時ヤベツの母親は相当落ち込んでいたのか、わが子に「苦痛」という名前を付けてしまいます。
> ある人は何不自由ない豊かな家庭に生まれますが、ある人は食べるものにも困るような貧しい家庭に生まれます。
>ある人は家族が愛し合い助けあっている暖かい家庭に生まれますが、ある人は問題だらけで冷たい家庭に生まれます。
>みんなが平等に生まれてくるわけではありません。
>人間の社会は、昔も今も、洋の東西を問わず、多様です。
>心理学では、私たちの人格の大部分は幼児のころの家庭環境によって形づくられると言っています。
>また、生物学では私たちがどんな病気になるかは遺伝子によって決まっているとも言います。
>もし、それが本当だとしたら、私たちの人生のすべては生まれながらにして決定されているということになります。
>人間には、いつ、どこで、どんな両親から生まれたいかを決めることができず、何のチョイスもないわけですから、多くの人はそれを自分の「運命」だとあきらめるしかないと考えています。
>神を信じるという人も、それは「神のおぼしめし」で変えられないことだと言います。
>その人たちにとっての神は「運命」としての神でしかないのです。
> しかし、ヤベツは、「イスラエルの神」、生きて、私たちの人生の中に働いていてくださる神を信じ、祈りました。
http://penguinclub.net/sermons/1chro/1chro4-9.html
本当に以前も書きましたが、子供たちには心から土下座するしかないと思っています。
なんだってカルトに騙されて、大患難は過ぎ去った、第三次世界大戦は終わった!などと思いこみ、あとは家庭生活をしっかり送り、子供たちの成長を楽しみに子育てをするだけだ!などと思っていたのですから。
子供たちを世に送り出しても大丈夫!などと油断しきっていました。
私の人生の本文がいよいよここからスタートだ!と思って張り切って出発したのに、夫が暴れだしてすべてが台無しになりました。
子供が小さなとき、あれもしてあげようこれもしてあげよう・・・って私も世の人の親並みに与える愛にあふれていたんですよ。
絶対に不幸になどするものか!最良のものを与えてあげよう、そう思っていたのに・・・(TT)
本当に子供たちには申し訳なく、情けない親になってしまいました。
それなのに子供たちはとてもいい子でこんな母のために一生懸命「俺は今毎日すごく楽しいよ!充実しているよ!お母さん大好き」って言ってくれるんです。
(私のいた)統一教会というところは、日本人を自虐史観やら南京大虐殺・慰安婦強制連行などと言ったねつ造話で騙し、金品や財産を騙し取り、韓国でも異性に相手にされない結婚にあぶれた異性と結婚させ、日本の信徒を死ぬまで苦しめる反日カルトだったのです。
それでいつも自分のために祈るな、祈りは神と世界や国家のために祈れ、公的な祈り以外は祈るな、みたいなことを言われていました。
悪いことはすべて日本人の所為にして責任を押し付けてきた団体(戦後のGHQみたいw)ですから私たちが幸せになることを喜ぶはずもなし。当時私たち自身が幸せになる祈りをささげるのも罪悪感を感じると言った調子でした。
このように信徒は尤もらしいことを言われながら虐待され続けていますから、統一教会に長くいればいるほど、神様の愛は感じられなくなるのではないでしょうか。そこには日本と日本人に対する驚くべき悪意が潜んでいるからです。
だから、子供たちも、またもし私と同じように統一教会や他のカルトから被害を受けた方がこの記事をお読みになっているのなら、ヤベツのようにイスラエルの神に呼びかけて、祈ってみてください、と言いたいのです。
「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」
※さっき祈ったら先週から行方不明になっていたお財布が見つかったーーー(;▽;)神様ありがとう!
〉 ヤベツの名は、実はすでに(列王記Ⅰの)2章55節のところに出てきていました。「ヤベツに住んでいた書記の諸氏族は、ティルア人、シムア人、スカ人。彼らはレカブ家の父祖ハマテから出たケニ人である。」書記たちが住んでいた町がヤベツという名でしたが、それはヤベツがここでイスラエルの神に向かって、地境を広げて、御手がともにあって、苦しむことのないようにしてください、とお願いした、その祈りの結果でした。
〉 ヤベツは「悲しみの子」というような意味なのですが、彼はその名に反して祝福を祈りました。それもそのはず、ユダには祝福が約束されているのです。神が祝福を願っておられるのに、なぜ悲しみや苦しみを不必要に受ける必要があるだろうか?そこで彼は祈りました。これは自分の欲が満たされるための繁栄を祈ったのではなく、主が望まれているように祝福していくださいという、神中心の祈りです。
http://www.logos-ministries.org/old_b/1chr1-9.html
なんだ やっぱりイエス様の先祖だからひいきされてたのかなあ・・・
でも大丈夫!「あなたを祝福するのもは祝福され、あなたを呪うものは呪う」と言われたアブラハムだから、アブラハムの子孫を祝福することで私たちも図々しくこの恵みにあやかってしまおう!
ムスリムとユダヤ教徒を愛するのじゃ^^
0 件のコメント:
コメントを投稿