2016年2月4日木曜日

長男の苛め

二人で母子寮(DV被害者のシェルターから引っ越した。)に住んでいたときに、ある時、まだ小学生1年だった長男が学校に行くのを嫌がるようになっていた。 

最初は息子の好きな飲み物やお菓子などで誘導して、無理に登校させるようにしていたが、ある時先生から連絡が来て、学校に来てほしいと言われたことがあって、学校に赴いた。

そこで聞いたことは、どうやら息子が複数の上級生に苛めにあっているらしいことだった。





それからしばらくして、息子に買ってあげたばかりのDSがなくなるという事が起こった。

寮長さんが、知らせてくれたのである。

ゲーム機の貸し借りは禁止だったと思う。寮内でも学校でも。
 


当時息子が良く遊んでいたのは、米国人と離婚して日本に帰ってきたお母さんの二人のハーフの子供だった。

上の子は「時計仕掛けのオレンジ」に出てきた若き日のマルコムマクダエルに良く似ていて、下の子はイタリア人の子供のように、甘く可愛らしい顔立ちをしていた。

私たちの部屋にもよく遊びに来ていたのだが、息子のゲーム機を借りてよくゲームをしていた。
借りて自分の部屋に持っていくのは禁止だが、その部屋で遊ぶのは認められていた。
それでよく遊びに来ていたのである。

息子のゲーム機はその子達が持っていた。
私が部屋に帰ると、ほぼ毎日のようにその子達のどちらかが上がりこんで、息子のゲーム機で遊んでいた。

おかげで息子は遊びたい時にゲーム機で遊べなかったようであった。
 
上の子は乱暴で、弟を良く殴り、寮母さんたちがその子の顔に絆創膏を貼ってあげていた。
うちの子も打たれていたと思う。

月に一回、母子寮では集会があり、報告会が催されていた。
 寮に対する要望や、住民に対する注意なども行われていた。

その、ゲーム機の貸し借りについて寮会に出席した時だったが、部屋に一歩はいると、その二人の母親がいきなり私の顔を見て「謝ってください!」
って言ってきたのである。

そのときの私はまず混乱して「え?」「え?」みたいな感じだったが、その母親は、ゲーム機の貸し借りのトラブルで自分の子供たちこそが被害者だと、言いたいらしかった。

しかし6年生と5年生だったその子供たちが小一の私の長男を追い掛け回しているのを私も他のお母さんたちも目撃していて、その寮会でも加害者は誰で、被害者は誰かという事が明らかにされ、周囲にも理解が広まった。

その寮会の時はそのアメリカ帰りの母親に「悪いのはそっちでしょ!早く、早く謝ってください!」と言いがかりをつけられたのだが、勢いに負けて反射的に謝らなくてよかった、つくづく思った。

あとでその母親の二人の子供が悪いという事がはっきりしたのだが、その母親はショックでうつ病が再発して入院してしまったそうである。

教師との話し合いで息子と帰ってきた日、その親子が引っ越したと誰かが話していた噂で それを知った。

 
それから何年もして、従軍慰安婦の件で、隣国がわが国にうっとおしく強制連行の言いがかりをつけてきて、うっかりその時の政府が謝罪してしまったことを言質にとって未だに言いがかりをつけて謝罪と賠償という名前の恐喝をしてくる姿を見て、つくづく相手の勢いと言葉に飲まれなくて良かったと思った。

お人よしの日本人はその場を取り繕うため、相手を宥めるために自分が悪くなくても謝ってしまうが、もしあの時そんなことをしたら、今でも私たちはあの親子に集られていたんじゃなかろうか・・・と思う。

あの乱暴な兄と可愛い弟は児童養護施設に行ったのか、それとも米国人の父親に引き取られていったのだろうか?